「琵琶湖周航の歌」の記念碑が諏訪湖畔にあるってどうしてでしょうか

小口太郎の略歴

明治30年8月30日 諏訪郡湊村に出生      (1897年)
明治43年4月    長野県立諏訪中学入学
大正5年9月     第三高等学校入学
大正7年7月     「琵琶湖周航の歌」創作
大正8年9月     東京帝国大学理学部入学
大正11年4月    東京帝国大学航空研究所 入所 
大正13年5月16日 湊村(現岡谷市湊)にて (1924年) 永眠

  小口太郎像
 
          07.6.15~~


              小口太郎像 「琵琶湖周航の歌」の作者  (諏訪湖畔 釜口水門公園の顕彰碑文から)
 小
口太郎は この諏訪湖畔で生まれた。湊尋常高等小学校時代より秀才と讃えられ 県立諏訪中学校(現諏訪清陵高校)から第三 高等学校に進んだ。三高生であった京都時代には
 水上部(ボート部) に属し 琵琶湖周航中に故郷の諏訪湖に思いを馳せながら
 「琵琶湖周航の歌」を創作し 大正7年に発表した。大正のロマンチシズムと自然の美しさの中に 人間の喜びと悲しみとが詩情豊かにうたいこまれているこの歌は ある時代は 人々を励まし
 また慰め 時代を超えて国の内外でうたい継がれている誠に素晴らしい歌である。
  また 小口太郎は創意に満ちた科学者であり 東京帝国大学在学中に 「有線及び無線多重通信電話法」を発明し 日・英・米・独 ・仏・伊・加・濠の8か国から 特許を得て
 現代の通信事業の基礎技術に生かされていることは誠に意義深いものがある。
 「琵琶湖周航の歌」の創作者であり科学者であった 小口太郎生誕の地に顕彰碑を建立し その業績を永く後世に伝えたいと願う ものである。(顕彰碑文から引用)